この画像、一見すると少し前の飼育員と象。
という印象の画像ですが、実はとても美しい象と人間との物語の一枚なのです。
今回のこの美しい話について見ていきたいと思います。
2018年12月20日に放送のアンビリーバボーでも取り上げられようです!
大きな動物といえば象!!
大きな体で、つぶらな瞳!可愛いですよね。
タイでは幸せの象徴とされています。
日本でも動物園で人気がありますよね~。
大きくて穏やな象さん。と思っていたら!!!
51年前に脱走事件があったのです!
舞台となったのは51年前の1967年の上野動物園。
そして後にその話を上野動物園がツイートし話題となりました。
今回はこの感動する話と、脱走した象インディラ、そして飼育員の落合正吾さんについて調べていきたいと思います。
象インディラが日本にきた理由が素敵!
象インディラが日本に来たのは、子供たちの力のようです!
戦後、民主主義教育の一つに「子供議会」という学習活動があったそうです。
それは身近な問題を子供たちの手で解決していくというもの!
なんか素敵ですよね??戦後にこのような取り組みがあったなんて知りませんでした!
台東区の子供議会は昭和23年から25年までおかれたそうです!
メンバーは小学5年生・6年生の各校1名!
そして昭和24年5月開催の子供議会で
「上野動物園に象がほしい。名古屋から本物の象を借りてこよう」
と議決されたのです。
上野動物園はとても大きいですよね。
ですが象はいなかったのかな~?と思っていたら、戦争の時に脱走したら危ないということでライオン・ヒョウ・トラと一緒に殺傷処分されていたのです。。。
確かに戦争中はどこを攻撃されるかわかりませんもんね。
ですがとても切ない気持ちになります。
戦争は色々なものを奪ってしまうのだなと実感する話です。
しかし戦後にも生き残っていた象は日本に3頭いました。
京都の1頭戦後すぐに亡くなってしまい、当時日本にいたのは名古屋の2頭だけだったそうです。
そのうちの1匹を借りてこよう!というのが子供議会での決定です!
子供の頭は柔らかいですよね~!
うきうきするような決定です!
この決定にも涙するような素敵な話しがありました!!!
それは昭和24年3月6日の『東京日日・毎日小学生新聞』に小学校三年生の近藤晃一君という子の手紙が掲載されたことです。
この手紙というのが、、
「ぼくのいもうとは、ぞうをしりません。なんとかして買ってください」 という手紙と一緒になんと10円の為替が上野動物園の古賀園長へ送られたということです!
そんなことありますか??
小学3年生が妹のためにそんなことを思い、自分もお金を出すという考え・・・
買って!!!!
ということならわかりますが、自分もお金をだす。
そして買ってほしい理由が妹に象を見せたい・・・
凄い素敵な少年です。
ちょっと涙が出てきてしまいました。。。
そんなこんなで子供議会から代表の2人が名古屋へ行き、名古屋市子供議会が市役所で開かれました。二人は熱い思いを伝えましたが、
残念ながら結果は借りられることはできませんでした。。。。
理由は、2匹の象を離れ離れにすることはできないからというもの。
実験で2匹を離れ離れにしたところ、残された象が暴れ、柵に頭をぶつけたりなどしたそうです。
2匹が高齢なこともあり残念な結果となりました。
このような状況を目にしたら諦めないわけにはいかないですよね。。。。
しかし、二人の頑張りによって象列車「エレファント号」という、名古屋へ象を見に行くための列車の運行が決定しました。
名古屋へ近い、大阪・京都の子供たちは大勢参加したのですが、少し距離のある東京からの参加はなかなか難しかったようです。
新幹線がない時代ですので、遠距離が理由となりすぐに打ち切りという結果になってしまいました。
ですが「上野に象を」運動はより大きなものとなっていきました!!!
なんと国会議員をも動かしたのです!!
そしてこの騒動を知った、インドの貿易商のニヨギ氏!!!
この方がすごい!!
当時のインドの首相ネール首相宛のお願いの作文や図画1500点を集めて手渡してくれたのです!!!
結果!!!
1頭の象が上野動物園へ来ることとなったのです!!
それがインディラでした。
インドで材木運びをしていた十五歳の牝です。
名前のインディラとは、ネール首相の令嬢のインディラ・ガンジーさんからとりなずけられました。
これがインディラが上野動物園に来た経緯です!
この後、素敵な飼育員の落合正吾さんと出会っていくのです。
国をも動かした、子供たちの思いがすごいですよね。
この話を知り、夢・やりたいことはどんなに大きくてもあきらめない限り、努力をする限りかなうのではないかな!と心から思います。
今までも言われてきましたが、子供たちが国を動かし象が上野動物園に来たという事実にとても励まされますね。
1967年の上野動物園脱走劇
インディラについてはわかっていただけましたでしょうか!!
ここで上野動物園でのインディラの脱走劇を見ていきましょう。
ツイッターでも話題をよんだ脱走劇!
こちらです!!
昭和42(1967)年の今日、アジアゾウのインディラが同居していたジャンボとケンカをして、運動場から堀に突き落とされてしまいました。インディラは手すりに鼻を巻き付けて体を引き上げ、なんと入園者側の観覧通路に出てしまったのです。
— 上野動物園[公式] (@UenoZooGardens) 2017年3月14日
園内はただちに緊急体制がしかれましたが、インディラはゾウ舎に戻ってくれません。やがてマスコミのヘリコプターが低空で旋回をはじめ、インディラはその音で興奮してきました。ゾウが暴走したら大変な事故になってしまいます。飼育係のだれかが言いました。「そうだ、落合さんだ!」
— 上野動物園[公式] (@UenoZooGardens) 2017年3月14日
落合正吾さんはゾウ飼育班長でベテラン飼育係でしたが、病気で休職中でした。アドバイスを聞こうと飼育係員が自宅に行くと、「よし、すぐ行く!」と落合さんは寝間着のまま、とめる声も聞かずに動物園に向かいます。
— 上野動物園[公式] (@UenoZooGardens) 2017年3月14日
ゾウ舎に着いた落合さんは、病人とは思えない声で「インディラ、ダメじゃないか。戻るんだ。」と一喝。とたんにインディラの興奮がおさまって目がおだやかになりました。「よし、良い子だ。さあ、帰るぞ。」落合さん到着がら10分もしないうちに、インディラは無事に収容されたのです。 pic.twitter.com/YLbqvIsPs8
— 上野動物園[公式] (@UenoZooGardens) 2017年3月14日
実は落合さんは重度の胃ガンで、8日後の3月22日に54歳で亡くなりました。混濁する意識のなかで、いとおしそうに「インディラのやつ…」とつぶやいていたそうです。
— 上野動物園[公式] (@UenoZooGardens) 2017年3月14日
落合さんには妻との間に子供がおりませんでした。
ですので本当の子供のようにインディラを可愛がり、心配していたのでしょね。。。
寝たりきの状態にもかかわらずインディラの危機に駆け付けた落合さん。。
本当にインディラへの深い愛を感じます。
亡くなる寸前で愛するインディラを助けられたことが落合さんにとってはとても素敵な人生になったのではないでしょうか?
そして、この事件の後。
インディラは
あの日落合さんがやってきた時間になると、その方向をみつめ、耳をすましてじっと待つようになったそうです。
インディラはその後1983年に亡くなりました。
落合さんがなくなってからの時間をどのような気持ちで過ごしたのでしょうか??
考えると涙が出てきますよね。
まとめ
落合さんとインディラが出会ってからどのような時間を過ごしたの詳細はわかりませんでしたが、きっと遠いインドから一頭だけできたインディラを心から可愛がったのではないでしょか?
だからこそ、落合さんの言葉はインディラに届いた。
二人の絆の強さをとても感じる話です。
インディラが上野動物園へくるまで、そして最後亡くなるまで。
落合さんにあえて幸せだったのではないでしょうか??
また落合さんも亡くなる間際にインディラの名前を呟いてる。
相思相愛ですよね。
このような相手、たとえ人間と動物だとしても分かり合えている、ずっと気にかけあえている相手がいるということは羨ましなと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。