実写版・アニメ版共に大人気の「時をかける少女」。ラストシーンで千昭が真琴に言った「未来で待ってる」はどこか意味深なセリフですよね。
千昭がなぜ「未来で待ってる」と言ったのか?考察しつつ深掘りしていきたいと思います。
と!その前に。「時をかける少女」の原作は筒井康隆さんの小説です。細田守監督が描いたのは、その原作から約20年後の世界。原作の主人公「芳山和子」は、本作で主人公である「紺野真琴」の叔母として登場しています!原作を読んでから、細田守監督の「時をかける少女」を楽しむのも良いですね。
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上記の小説の表紙の絵!「アニメ版・時をかける少女」の物語終盤。真琴が落ち込み魔女おばさんの職場へ。そこで、魔女おばさんが自身の過去【高校時代】に初めて人を好きになった。と話す場面で映る写真と同じ制服です!アニメでは、女の子の後ろ両側。正面を向く男性が2人写っていました。小説は後ろを向いた男性が2人・・・。きっとこの小説に出てくる人物なのでしょうね。
千昭が言った「未来で待ってる」の意味とは?
未来人である千昭が、未来に帰る時に言った「未来で待ってる」。この言葉をどう捉えるか。視聴者によるのでしょう。筆者的には以下のようなことが考えらえる・考察されるのでは?
- あの絵を未来で待っている
- 「未来で待ってる」=真琴をずっと思っている、たとえ会えなくとも
→「うん、すぐ行く。走って行く。」=私も千昭を思っている
それぞれを考察していきましょう。
「あの絵」を未来で待っている
「あの絵」とは千昭が見ることを切望したあの絵です。「あの絵」のために千秋は真琴たちのいる過去にきましたが見ることは叶わなかった。
千昭の気持ちを知っている真琴は千昭に言いました。あの絵を千昭がいる未来で見ることができるようにすると・・。真琴は本気で言った言葉なのでしょう。そのことは千昭もきっとわかっている。しかし、それが現実になるのかは千昭にはわからず、しかし真琴の言葉が嬉しかったのではないでしょうか?自分が惚れが相手である真琴が、自分の望みのために頑張ると言ってくれているのですから。
千昭が言った「未来で待ってる」の言葉には、確かに「あの絵」も含まれているのかもしれませんね。
「未来で待ってる」=真琴をずっと思っている、たとえ会えなくとも
→「うん、すぐ行く。走って行く。」=私も千昭を思っている
未来人である千昭。そして未来人である千昭とは結ばれることはないであろう時代の真琴。しかし、2人は両思いなのです。とてもプラトニックで尊い関係。
未来に帰る前に若干の言い争いをした2人。勢いで別れたものの、真琴が振り返るとそこに千秋はいなかった。色々な感情が込み上げてきたのでしょう。泣きじゃくりながら歩く真琴の頭を後ろから優しく抱き、耳元で千昭が言った「未来で待ってる」。
千昭と真琴はどうしたって結ばれることがない2人です。どれだけ好き合っていても・・。
だからこそ「好き」という言葉ではどこか虚しく響いてしまうことを千昭はわかっていたのではないでしょうか?
思いがけず過去で好きになってしまった真琴。数分後、数秒後には別れ、2度と会えないであろう真琴。大好きな真琴が泣きながら歩いていく後ろ姿は千昭には耐え難いものだったのではないでしょうか?
だからこそ、真琴に希望を持って欲しくて自分も望みを持ちたくて言ったのが「未来で待ってる」なのではないでしょうか?そしてその言葉には「真琴をずっと思っている。たとえ会えなくとも」という気持ちがあるように筆者には感じます。
真琴が言った「すぐ行く、走っていく」という言葉は、千昭が好きだという気持ちがあったのではないでしょうか?
魔女おばさんとの会話で「待ち合わせに遅れてきたら走って迎えに行くのがあなたでしょ?」と言われています。真琴は待ってる人がいたら走っていく人なのでしょう。だから、千昭にも「走っていく」と言ったのでしょう。千昭が待っていてくれるのならきっと、真琴はどのような障害にも負けず走っていけるのでしょう。
千昭と真琴は未来で会える?
千昭がいる未来はとてつもなく先の未来なのでしょう。千昭の以下のセリフからも未来度が伺えます。
- タイムリープが可能になるような装置が発明さている
- 人間が少ない
- 野球がない?
- 地面に流れる水を見たことがなかった
自然破壊が進み、人口が減り続けているのでしょう。しかし、化学は発展を続けている。なんとも言えないですよね。しかしそのような未来を知っている未来人が過去に来れるのであれば自然・地球を守ることもできるのでしょうか・・?
しかし、相当な未来なはずです・・・。真琴が生きてその時代を迎えることは厳しいでしょう。またもし生きていたとして年齢を相当重ねている可能性が高いのではないでしょうか?
考察すると、千昭と真琴は未来では会えない
だからこそ、前章での考察した「未来で待ってる」「走っていく」という意味が尊く、切なく響くのではないでしょうか?
「時をかける少女」このタイトルにある「時」とは「今」とも考えられますよね。「今を精一杯生きる」というのメッセージもこの物語にはあるのかなと感じます。
奥華子さんが歌う主題歌・ガーネットの歌詞からも真琴と千昭はもう会えないのかなと伺える部分がありました。
思い出すという行為をしなくても常に胸の中にお互いがいるのかなと感じます。とても切ないですが素敵ですよね。
たとえ未来で会えずとも、2度と会うことがなくとも千昭と真琴はそれぞれの時代でお互いを思いながら精一杯生きたのだと思います。
まとめ
誰かを好きでいる気持ち、好きだと思われる気持ちは生きていく上でとてもエネルギーになります。たとえずっと一緒にいられなくとも大切な時間を過ごした千昭・真琴は幸せなのではないでしょうか?いつか生まれ変わったときにまた巡り会えるといいなと筆者は考えます。
切なくもあり尊くもある「時をかける少女」。本当に素敵ですね。これからも楽しみたいですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。